「男の子がよかった」父の言葉に縛られてきた私へ。アドラー心理学で過去の傷を「逃げ道」から「力」に変える方法

親子関係

過去の傷は「生きづらさ」の根源なのだろうか

幼いころ、私は父から「男の子がよかった」という言葉を繰り返し聞かされて育ちました。

その言葉は、まるで私の存在そのものを否定しているかのように響き、胸が締め付けられるたびに、「女でごめんね」と涙を流したこともあります。

この過去の経験は、私の中に深い傷となり残り続けました。そして、大人になってからの私の「生きづらさ」や「自己否定感」の根っこにあるものだと、ずっと感じていたのです。

もし、あなたも私と同じように、過去の親やパートナーとの関係、辛いトラウマが、「今の自分の限界」を決めていると感じているなら。

その過去への「意味づけ」を、アドラー心理学の視点から変えてみませんか。


目的論から見る、過去の「痛み」の活用法

アドラー心理学の有名な考え方に、「目的論」があります。

過去の原因⇒今の行動

ではなく、

未来の目的⇒今の行動

この考え方からすると、父の「男の子がよかった」という過去の言葉が、私の「今」の自己否定や感情を決定しているわけではありません。

私たちは、「今の自分が望む未来や目的」を達成するために、過去の出来事や感情を「活用」していると捉えます。

  • 幼い私が「女でごめんね」と思ったのは、父との関係を保ち、愛情を得るための「最善の選択」だったのかもしれません。
  • 大人になってから「私は間違って生まれてきた」と自己否定するのは、「自分の弱さを正当化し、自分の行動への責任から逃れるため」の目的だったのかもしれません。

これは厳しい視点かもしれませんが、決して自分を責めるものではありません。
ただ、私たちが無意識のうちに「過去の傷」を「言い訳」や「心の逃げ道」として利用していないか、立ち止まって考えるきっかけになります。


過去の意味づけを変える

長年、私は自分の心が傷つくたびに「やっぱり私はダメなんだ」「間違って生まれてきた」と思うことで、自分自身の責任や今以上の傷から身を守っていました。

しかし、アドラー心理学を学んだことで、この見方が変わりました。

父の言葉は、私を傷つけるための「道具」ではなかった。

父の言葉には、長男として家を守る責務や周囲からの期待といった、父自身の課題が込められていただけだった。そして、私はその父の課題を背負う必要はなかったのです。

この「課題の分離」という気づきが、私の人生の転換点となりました。

私はもう、過去の父の言葉や、周囲の期待によって自分を責める必要はありません。
私の人生の主役は、私という存在そのものです。


あなたは、その思い出をどう「活用」していますか?

過去の辛い経験やトラウマを否定する必要はありません。その痛みは、あなたが必死に生き延びた証です。

大切なのは、その過去の出来事を「今、あなたがどう活用しているか」という視点を持つことです。

  • 過去の辛い経験を、「だから私は変われない」という回避として使っていませんか?
  • 「あの人のせいだ」と思うことで、「自分の人生の責任」を放棄していませんか?

幼く、弱かったあの頃の自分が「生き延びるために心に決めたこと」は何でしょう?
その選択や世界観は、今のあなたの生活にもまだ必要なものなのでしょうか?

もし、その過去の意味づけを書き換えられたら、もっと生きやすくなると思いませんか。

過去に囚われず、未来を見て生きることを選べば、あなたの心にはきっとこんな問いが生まれるはずです。

  • 本当の私は、どうありたいのだろう?
  • どんなことに喜びを感じるだろう?
  • 誰の役に立ちたいと思えるだろう?

この問いこそが、過去に縛られた心を解き、未来へ一歩踏み出すための入口になります。


新しい人生を歩み出すために

あなたは決して、誰かの期待に応えるために生まれてきたわけではありません。
あなた自身に、かけがえのない価値があります。

過去の経験にとらわれず、「これからの自分を創る力」として再活用できるよう、私と一緒に人生の歩み方を見つめ直しませんか?

「どう変われるかわからないけれど、やってみよう」

その決意を、アドラー心理学の勇気づけの視点から、私が全力でサポートします。

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